関西ブランディングデザイン協会
コラム
報道の裏側〜ニュースは作るもの〜  -- (No.7)
はじめまして。関西ブランディングデザイン協会会員の福川です。
わたしはマスコミの世界で長いあいだ仕事をしてきました。
そのほとんどが雑誌の編集ページを埋める記事の執筆や
特集ページの制作などです。
あえて、そう言わせてもらっているのは、
タイアップ記事(記事のフリした広告)や
純広告ではなく、掲載相手から「お金をもらわない」ページ、
つまりパブリシティの仕事だからです。
もっと簡単に言ってしまえば、報道記事です。
「報道」と言うと、なにやら肩肘張った社会正義みたいで、
ジャーナリズムの世界をイメージしてしまいがちですが、
いやいや大違い。
残念ながら、ジャーナリストが命を賭けるような仕事には、
めったにお目にかかりません。

たとえば、政治の舞台では記者クラブで各紙平等に情報をいただきますし、
慣例的なリークで満足しています。
週刊誌の事件記者たちも大元のところでは記者同士が情報交換します。
奇妙なことですが、ある一線を越えない、これがルールです。

余談ですが、5年ほど前に「日本兵発見」騒動がありました。
現場はフィリピンのミンダナオ島です。
私も週刊誌の記者としてミンダナオ島へ飛び、
日本兵が現れるというジェネラルサントスという町で待機しました。
この小さな町は約150人近い日本のマスコミ関係者で溢れ、
一人が右へ走れば全員がそちらへ。
左へ走れば一斉に左へと、大騒ぎでした。
最終的にはガセネタだとわかり、日本兵は幻となってしまいます。
そうなると、あっという間にこの町から日本人は消えてしまいました。
ほんとに見事です。
静かになったジェネラルサントスで市長を表敬訪問したとき、
私は市長が突然やってきた多くの日本人を
反政府軍ゲリラから守るために
軍隊を出動させていたことを知りました。
「市長に会いに来た日本のマスコミ関係者はあなたが初めてだ」
と言われたときは、それ以上にショックを受けました。

その後、あるルートを使って私はジャングルへ入り、
日本兵を祖父と父に持つ少数民族の男性2人と出会います。
一線を越えないという暗黙のルールを破ったわけです。
もちろん、編集部のデスクからは
「危険を冒すことだけは、絶対にやめてくれ」と、
再三、国際電話で釘を刺されていましたが。
同じ日本兵で、横井庄一さん、小野田寛郎さんがいます。
横井さんとは飲食をともにし、
亡くなられるまでの2年間ほどおつきあいさせていただきました。

彼は戦争に対する激しい憎しみを一人ぼっちで抱え込み、
マスコミに対して不信感を持ち続けていました。
小野田さんは横井さん以上にマスコミに翻弄された人です。
当時のセンセーショナルな「元日本兵・小野田さん発見」の
報道記事と事実がまったく違っているからです。

この作為的な歪みは、その後に起こった若王子事件でも再現されます。
詳しくは書けませんが、三井物産マニラ支店長だった若王子さんが
フィリピンでゲリラに誘拐されたとき、
私が会ったある人物が
「真実をすべて話してもいい。そのかわり、必ず書くと約束できるか? 
昨日、日本テレビが取材に来た。しかし、絶対に報道されない」
と言い切り、その言葉どおりになったのです。

さて、こんなふうに書くと、なにやら恐ろしくもあり、
胡散臭くもあり、マスコミに対するイメージが変わるかもしれません。
それでいいんです。
どんどんマスコミに対するイメージを変えてください。
これって、どこか、ショービジネスだと思いませんか。
そうなんです。ニュースって「ショー」なのです。
どこかに作為があってニュースになる。
実はこれが、パブリシティの本質です。

そのままだとニュースにはならないけれど、加工すればそうなる。
週刊誌の記者も、新聞記者も、月刊誌のライターも、
あるいはテレビのディレクターも、バラエティ番組の制作会社スタッフも、
別世界どころか、日常にべったりと張り付いて、
世の中の動きを横目で見ながら、加工できる、
おもろいネタを求めてウロウロしています。
そんな人たちに事実を事実として伝えても、
おもしろくなければ一斉に引いてしまいます。
もとより、おもしろい事実はなかなかありませんから、
事実を世の中の流れに引っかけたり、個性的なヒトやモノにくっつけたり、
切り口を変えることで話題性のある情報に変えるんです。

そう、ニュースは生まれるものではなく、
「つくるもの」だと考えてください。
ニュースをつくる、それが私の仕事です。
情報発信をしたい中小企業のみなさん、
関西ブランディングデザイン協会で、
ニュースづくりに協力してもらえるとうれしいです。

  2008.10.28  福川 粛
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